12月23日のつづきのつづき円形劇場から市役所前の駐車場へ移動。
倉吉が生んだ第53代名横綱琴櫻(横綱在位: 昭和48年3月~昭和49年7月、佐渡ヶ嶽親方)の銅像がある。
ここから町歩き。
いちいちの由来や説明は、煩雑になる(面倒くさい)ので割愛。
流し雛の像
大岳院。慶長10年(1605)創建。曹洞宗。
慶長19年(1614年)、安房国館山藩主・里見忠義は大久保忠隣失脚に連座し、倉吉藩に移封された。実質的には流罪ともいわれ、忠義は打吹城に入ることはなく大岳院門前の神坂村に居住した。大岳院には里見忠義が寄進した「三彩稜花刻花文盤」が寺宝として現存する。忠義はそののち堀村(現・関金町)に移り、元和8年(1622年)に没した。戒名は「雲晴院殿心叟賢涼大居士」。忠義は遺言により大岳院に葬られた。忠義の葬儀ののち、8人の近臣が殉死した(人数には異説もある)。大岳院の過去帳には8人の殉死者の戒名が記されているが、主君の戒名にも含まれる「心」と「賢」の字が共通して入っており、とくに「賢」の字に着目して「八賢士」と呼ばれている。このことから曲亭馬琴の読本『南総里見八犬伝』の「八犬士」のモデルではないかという解釈がある。大岳院には忠義と八賢士の墓があるほか、忠義の叔父である正木時茂(正木大膳)や、家老堀江能登守の墓所もある。
(Wikpedia)
里見家墓所
犬が見守る。(置物・・・)
倉吉は、アニメ「ひなビタ♪」中の架空の都市と姉妹提携しているらしく、町中にアニメキャラクターがいる。
旅館のフロントにも、「フィギュアのまち 倉吉」
霜月凛というらしい。
ちくわソフトも気になる・・・。
今回初めて、打吹地区を見物した。
倉敷や飛騨古川ほどの規模はなく、住民の生活と一体になった感じがなんとなくのんびりして、好感を持った。
それにしても、建造物とかめったに撮らないので、下手くそだな。
水平垂直がぜんぜん取れず、修正ばかり。
~おわり~
1. 無題