バッハ、無伴奏チェロ組曲
左から、チェロ用、ギター用、アルトリコーダー用。
ギター用は、ギターに合わせて移調してあったり、原曲にはない和音が付け加えてあったりする。
さらに、移調によって頭に憶えているのと違う音が鳴って、どうしても違う曲に思えるので、ギターで弾く時はついついチェロ版を自分なりに弾いている。
リコーダー用は、原点版のチェロ楽譜と同じく、(リコーダーには珍しく)ヘ音記号で書かれているが、アルトリコーダーで演奏できるように、部分部分オクターブ移調などがされている。
これらはすべて、遊び(すさび)で鳴らしているので、上達する意志はない。
途切れ途切れ、行ったり来たりしながら楽しんでいる。
が、ちょっとした音にビブラートを掛けることができたり、難しいパッセージができたりすると、バッハに頭を撫でられたようないい気分になったりする。
ベートーベンも楽譜出版で金を得ていたりするし、エジソン以前の音楽鑑賞は、こんなだったのだろうかと、思ったりする。
(エジソンによって)演奏することと聴くことが断絶して、演奏には完璧さが求められる一方、垂れ流される音を耳に入れることが、音楽を聴くということになっているのではないか。
へたでも、途切れ途切れでも、自分で音を出してみると、たった一つの音がすてきな意味をもって響いてくる。
音楽を聴く、鑑賞するというのは、耳だけでなく、音を出すという体験もあるのだなと、この歳になってようやくしみじみと思うので、ありました。
1. 無題