清水寺をあとに、松原通の人波をかき分け、参寧坂へ。
そして二寧坂へは曲がらず、緩やかに坂を下ると、八坂の塔が見える。
年末だからか、境内へは入れなかった。木曽義仲の首塚を拝んでみたかったが、かなわなかった。
引き返して二寧坂をぬけて、高台寺へ。
もみじがまだ残っていて、きれいに撮れた(かな?)
庫裏の格子戸の向こうには、「夢」の衝立が。
人は、「夢」という文字が好きなのか言葉が好きなのか。人偏を伴うと「儚」となる。
幸若舞の『敦盛』の中に、
人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり
一度生を享け、滅せぬもののあるべきか織田信長の好んだ詞章として有名だが、日本人の感性に合っているのだろうか。
秀吉の正室北の政所寧々が、秀吉の冥福を祈るために建立したこの寺にあれば、人の世の何かを伝えてくれる気がする。
高台寺を出て少し行くと、高台寺月真院前に御陵衛士屯所跡の碑がある。
近藤勇らと袂を分かった伊東甲子太郎らが、御陵衛士として屯所を構えたが、のち近藤らに殺される。
「新撰組始末記」のテレビで見た。50年ほど昔のこと。
道が突き当たったところに、大きな寺院があった。
大雲院で、織田信長、信忠父子の墓所があることを、このブログを書くため調べていて知った。
石川五右衛門の墓も、ここにあるということ。知っていれば、行ったのになあ。
高台院前のねねの道は、歴史の道でもあるのだなあ。
歴史ついでと言ったら、ファンには怒られるか。坂本さんと中岡さんにも会ってきた。
円山公園から、浄土宗総本山知恩院へ。
三門ですら、思い描いていた以上に壮大で、田舎の寺しか知らない自分には驚く他ない。
そろそろ脚が悲鳴をあげはじめたので、新門を出て、そそくさと次へ。
バス通りを歩き、小さな川を渡る。
その川沿いに行くと、もういい加減何とかして欲しくなってきた。そのあたりに「餅寅」というお餅屋があり、その脇の細道を行くと、明智光秀の首塚があった。
町の小さな地蔵堂なのだが、こうして歴史的な人物をお祀りしてあるのは、さすがに歴史の町ならではだな。
前の小さな川は、白川。
![](https://live.staticflickr.com/65535/49302750227_503715fbdf_b.jpg)
浅いが、滔々と流れている。
光秀の本能寺は歴史上の謎で、怨恨説から将軍や天皇の権力黒幕説とさまざまだが、人が人を殺すのは合理的な理由はない(大意)という吉本隆明の言説も、ありかなと思ったりする。
いずれにせよ、謀叛人とされる光秀と、殺された信長、信忠父子と、その後権力を簒奪した秀吉と、(たぶん)そのすべてを見てきた高台院寧々が、形こそ違え、おなじ京で祀られていることに、歴史の深い感慨を覚える。
さて、脚ももう限界間近だ。折りからやって来たタクシーに乗り込み、熊野神社前まで行く。
英ぼさんご推薦の「ジャズスポット ヤマトヤ」へ。
小さな路地を入ると、あった。
しかし、!こんな所にこの看板は、ただ者ではない感たっぷり。
懐かしい気分で入ってみると、大きなVITAVOX KLIPSCHORNスピーカーに、重量感あるGARRARD 401ターンテーブルが二基。
ハートランドをお願いする。
懐かしいディスクの音色、木のテーブル、赤いカウンター。
たばこを薫らせ、二杯目はバーボン。Jack Dniel’s。
ママが、気さくにアルバムジャケットを見せてくれる。老いた目に小さい文字は読めないが。
話も弾み、もっともっと、あと2・3時間はいたかったな。
平安神宮を抜けて、京セラ美術館前のこの日の宿まで帰り、いざ夜の部へと。
![](https://live.staticflickr.com/65535/49302752262_c3329453a6_b.jpg)
宿を出て、美術館前からバスに乗る。
八坂神社前でおりて、英ぼさんの案内で花見小路を歩く。
清水へ祇園をよぎる桜月夜 こよひ逢ふ人みなうつくしき (『乱れ髪』与謝野晶子)電線も地中化され、照明も抑制されて、かつてもこうであったろうという宵であった。
学校法人八坂女紅場学園 祇園女子技芸学校の脇を通り、高台寺前の石塀小路の今夜のお店へ。
落ち着いた良いお店で、カウンター席で美味しい料理と、日本酒をしこたま飲んだ。
宿に戻ってからも、持ち込んだお酒でしこたま飲んで、翌朝は宿酔なことに。
ちなみに、この日の歩数・24,802歩、距離18.2Km、消費カロリー1,085kcal
2日目へ続く
1. 無題