2019年12月29日。
アルコールの残る頭のまま、今日の宿へ荷物を預けてから歩こうと、地下鉄で移動。
お腹が空いたので、マクドで朝食とったあと、車で南禅寺へ移動。
朝の空気の残る中を、ゆるりと歩く。
水路閣へまわってみる。
琵琶湖疎水をひいた水路橋。レンガ、花崗岩で作られている。明治22年完成。
当時の人々の、意気込みやいじましさが感じられて、まさに『坂の上の雲』の時代を感じる。
南禅寺から鹿ヶ谷通りをてくてく歩いて行くと、
道標から坂道を登ると、哲学の道。
藤原成親、師光成経、僧俊寛ら後白河院の近臣が、平氏討滅の密議をしたのも、このあたりか。
国土地理院地図を見ると、このあたりで標高76mくらい。
流れは、京都では珍しく南から北へと、ゆっくり向かっている。疎水の水を水路を利用して流している(ブラタモリより)
何かと思って見ると、上の木が映っている。
風吹けば落つるもみぢ葉水きよみ散らぬかげさへ底に見えつつ(凡河内 躬恒 古今和歌集)枝を見ると、楓が種を実らせているようだ。
桜や紅葉の時期は、さぞ美しかろうが、人も多いだろうな。
今は、
見渡せば花も紅葉もなかりけり(藤原定家)、だ。
それに、浦でもなければ、夕暮れでもない。
今日も、多くの観光客が歩いている。いろんな国の言葉も聞こえてくる。
が、会話も静かで、暖かく明るい日射しの中、自分も思索にふけってみようと思うが、何も浮かんでこない。昨日からの脚が、痛みだすばかりだ。
哲学の道は、西田幾多郎が歩きながら思索にふけったので、のちに名づけられたらしい。
旅から帰って、付け焼き刃ながら『善の研究』をめくってみた。
フェヒネル は 或 る 朝 ライプチヒ の ローゼンタール の 腰掛 に 休らい ながら、 日 麗 に 花 薫り 鳥 歌い 蝶 舞う 春 の 牧場 を 眺め、 色 も なく 音 も なき 自然科学 的 な 夜 の 見方 に 反し て、 ありの 儘 が 真 で ある 昼 の 見方 に 耽っ た と 自ら 云っ て 居る。 私 は 何 の 影響 に よっ た かは 知ら ない が、 早くから 実在 は 現実 そのまま の もの で なけれ ば なら ない、 いわゆる 物質 の 世界 と いう 如き もの は これから 考え られ た もの に 過ぎ ない という 考 を 有っ て い た。 まだ 高等学校 の 学生 で あっ た 頃、 金沢 の 街 を 歩き ながら、 夢みる 如く かかる 考 に 耽っ た こと が 今 も 思い出さ れる。(『善の研究』「版 を 新 に する に 当っ て」西田幾多郎) 経験 する という のは 事実 其 儘 に 知る の 意 で ある。 全く 自己 の 細工 を 棄て て、 事実 に 従う て 知る ので ある。 純粋 という のは、 普通 に 経験 と いっ て 居る 者 も その 実は 何らかの 思想 を 交え て 居る から、 毫も 思慮 分別 を 加え ない、 真に 経験 其 儘 の 状態 を いう ので ある。 例えば、 色 を 見、 音 を 聞く 刹那、 未だ これ が 外物 の 作用 で ある とか、 我が これ を 感じ て 居る とかいう よう な 考 の ない のみ なら ず、 この 色、 この 音 は 何 で ある という 判断 すら 加わら ない 前 を いう ので ある。 それで 純粋経験 は 直接 経験 と 同一 で ある。 自己 の 意識 状態 を 直下 に 経験 し た 時、 未だ 主 も なく 客 も ない、 知識 と その 対象 とが 全く 合一 し て 居る。 これ が 経験 の 最 醇 なる 者 で ある。(『善の研究』「第一 章 純粋経験 」西田幾多郎)(太字筆者)
1870年石川県生まれ。1910年8月京都帝国大学文科大学助教授。1911年『善の研究』刊と年譜にはあるから、この道で最後の構想を練ったことだろう。
西欧思想の根底に流れるキリスト教には、ゾロアスター教の影響が見られるといい、それゆえ二項対立が思想、思考の根底に流れている。善悪、主客、魂と肉体、現代にいたっては、理性と感情すら対立項目にあげられることが私たちの普通の生活感覚になった。(かつて感情は、動物にはない、人間的なものだと考えられていた。)
そんな中、参禅修行の経験を通して、幾多郎は真に日本的な哲学を確立していった。
という理解でよろしいでしょうか・・・?
先に挙げたテーゼを解き明かしていくのが、『善の研究』なのだが、いかんせんぱらぱらとめくっただけなので、大変誤解している可能性が高い。ごめんなさいです。
つらくなった脚を誤魔化しながら、ようやく銀閣寺への参道入り口にたどり着いたが、あまりに人が多いのでやめにして、しばしベンチで休息する。
そばにロウバイがもう咲いている。
204号のバスに乗り伊織町で降りると、次の目的地はすぐだ。
英ぼさんご推薦の、「藤芳」。
一枚板や、一枚板を合わせたテーブル。メニューは丼物もあって、気取りがない。普通の町のソバ屋さん。
店主のお母さんが、ご挨拶に来られる。みやこ蝶々似の愛想のいい方で、85歳には見えない。
ビールを飲みつつ蕎麦を待っていると、来ました!
英ぼさんは天ざる、自分はにしんそば。
味の分からぬ自分があれこれ言うのは止そう。つるつるしゃっきり系の味わい深い蕎麦でした。
お昼一時過ぎていたからか、お客さんも少なく、のんびりした気持ちでしっかり味わいました。
どうしてももう一杯食べたくて、こんどはおろし蕎麦をたのむ。
蕎麦の上に、鰹節とおろし大根がどっかと乗って、混ぜて食べると、長野県坂城町産のねずみ大根の辛さが半端ではない。
こんなに辛くて美味いおろし蕎麦は久々だ。
刻みネギ、大葉、ワサビの薬味もついてきたが、何ものせない方が美味い。
写真とるのも忘れて、食べきった。
いやあ~、ごちそうさまでした!
ご主人も愛想よく、撮影にも気軽に応じてらした。
目の前には白川が流れる閑静な場所で、京都に来たときはマストなお店でした。
つづく
1. 無題