蕎麦でいっぱいになったお腹を抱えて歩いていると、向こう側に電車が通っていった。
叡山電鉄だ。
踏切まで行くと、すぐに茶山駅があった。。
少し待っているうちに、電車がやって来た。
乗り込むと、車内には天狗のお面がディスプレイしてある。この電車は、鞍馬発だろうか。
終点の出町柳までは二駅。
出町柳駅に到着すると、独特のデザインの電車がとまっている。
写真を撮ろうと急いで向かいのホームへ行ったが、
すんでのところで発車してしまった。
観光列車「ひえい」らしい。
出町柳駅を出ると、目の前が鴨川デルタ。加茂川と高野川との合流点。
有名なあの飛び石を、とうぜん、渡る。
思いのほか間隔が広い気がする、足が重い、でも渡る。
高野川を渡り、
加茂川を渡る。
老若男女、みな楽しそう。
夏河を越すうれしさよ手に草履 蕪村いや今、夏じゃないし、川に落ちたら冷たかろう。
無事渡りきって歩いていると、土手に腰掛けた女性の手から、ぱっとトンビが何かさらっていった。
出町橋のたもとには、
若狭へと続く。「京は遠ても十八里」という言葉があるらしい。十八里、72Kmとすれば二日で悠々つける距離、健脚なら一日か・・・自分にはまったく自信ないけど。
河原町今出川から同志社前まで、ひと停留所だけだがバスに乗る。もう脚が限界。
バスを降りると、御所。
朔平門
近づくと想像以上に大きい。スケール感が違う。
御所が遷都当時の中心線から東に寄っているのが、前々から気になっていた。
地図を見ると、二条城の西に「朱雀門付近の碑」があるらしく、千本通りがかつての朱雀大路で、二条城あたりから大内裏だったのだろうか。
今の京都御所は南北朝時代からということで、それでも700年近い歴史がある。
中立売御門から御所を出て、宿へと向かう。
「足腰の守護神」の幟が気になる、護王神社。
和気清麻呂、広虫を祭神として、イノシシが狛犬がわりに置いてある。
宿でしばし休憩。ついうたた寝してしまった。
外に出ると日はとっぷりと暮れ、宿のそばの日本聖公会聖アグネス教会のステンドグラスが美しい。
地下鉄を四条で降りて歩き、仏光寺通烏丸西入ルに今夜のお店がある。
そのすぐそばに、与謝蕪村宅跡(終焉の地)の碑がある。
老舗呉服商社の建物らしいが、京町家らしく造ってあり、歴史や景観への配慮がされている。
桃源の路次の細さよ冬ごもり(明和八年前)繁華な京の町中にあって、細い路地を入れば桃源郷のようである。
陶淵明の「桃花源記」では、迷った漁師が山中にあいた人ひとりやっとの小さな穴をくぐると、美しい村があったと記す。
それになぞらえた句だが、賑やかな人通りを一歩入ったところにある我が家に、ひっそりとささやかな安らぎを描いている。
明和8年、蕪村56歳。前年に夜半亭二世を継承し、蕉風中興の中心的存在となる。
が、六十を超えて、祇園の芸妓小糸に惚れ込んだらしい。祇園に居続けて、妻に届け物をたのむ書簡も残っているらしい。
結局は門人たちにいさめられ、あきらめたようだが。
老が恋わすれんとすればしぐれかな(安永三年大魯宛書簡)恋さまざま願の糸も白きより(安永六年七月)天明三年十二月二十五日未明没。68歳。
しら梅に明る夜ばかりとなりにけり(夜半翁終焉記・から檜葉)最後の句と言われる。
お店は、このすぐ斜め向かいにあった。
昨夜といいこの夜といい、若い女性がきびきびと働く気持ちのよい店だ。
「十九」のハリネズミも美味かったが、「鳳凰美田」はこれまでの飲んだ中で、とびきりの最上級に値する美味さだった。
幸せ~~。
この日も宿で飲んだが、そこそこに切り上げた。
この日の
歩数・20,724歩、距離14.9Km、消費カロリー857kcal。
3日目へ続く
1. 無題
平城京もしかり、奈良の有名寺院もかなり広い。
なぜあのような広大な配置を昔の人々は考えたのか、
人馬しかない時代にどうして作ろうと思ったのか、
いつも見るたびに不思議である。
と思いませんか?
コーヒーブルースのイノダコーヒー 今年は私も行きます。目標(笑)