丸木位里、俊夫妻の「原爆の図」は物心ついたころから、記憶に残っている。
その画業が見られるということで、中国道で1時間、三次市の奥田元宋・小由女美術館へ行ってきた。
ペアチケットで200円安く入れた。
丸木位里は1901年、現在の広島市安佐北区生まれ。去年自転車で走ったかわなみサイクリングロードが通っているところ。
その1920年代からの画作が並んでいる。
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「原爆の図」の作者として広く知られる丸木位里(1901-1995)。妻・丸木俊(赤松俊子)との共同制作である同シリーズは国際的にも高く評価されていますが、位里の画家としての全体像を「原爆の図」だけでとらえることはできません。特筆すべきなのは、昭和10年代に始まる幅広い前衛的な表現の追求、とりわけ水墨を用いた実験的な創作とその成果と言えるでしょう。
丸木位里は1920 (大正9)年、「丸木月吼」の名前で第5回広島県美術展に出品したことが知られています。記録として残る最初の公募展への挑戦からちょうど100年となる2020年は、位里の没後25年にもあたります。この節目の年に開催する本展覧会は、これまでの先行研究を土台とし、新知見を加えながら、その画業の全貌を紹介する過去最大の回顧展です。
今回は「原爆の図丸木美術館」にご協力いただき、戦後の代表作である「原爆の図」シリーズのほか、関連作家の作品も交えながら、位里の初期から晩年までの代表作を含む約100点を一堂に展示いたします(会期中、一部展示替えを行ないます)。「墨は流すもの」と語り、水墨表現の可能性を追求し続けた丸木位里の「宇宙」をどうぞご覧ください。
~~~~奥田元宋・小由女美術館HPより
伝統的な画からしだいに離れて、まさに墨の流れという抽象の中から生まれてくる具象は、迫力あるものだ。
「原爆の図」シリーズは、抽象という混沌にたたき込まれた具象、混沌という抽象の中から湧き上がる具象によって、痛み、怒り、悲しみ、祈り、慰め、といった人間の持つ感情のすべてが、感じ取られたように思う。
図版は
原爆の図・丸木美術館から見て下さい。
今回は、「第2部 火」が展示されていたが、縦180cm横720cmの大きさ、髪の毛一本、炎のひとむらにおよぶ稠密な描写に圧倒されて、言葉もない。
「第1部 幽霊」が発表されたのが1950年。
プレスコード(GHQの?)があったのだろうと思うのだが、こんな早い時期に、ここまでの完成度の仕事をなしたことに驚く。
死後25年を超えて、目に触れにくくなったように思うが、もう一度しっかり目に焼き付けておくべき仕事だと思う。